Story

指宿やさいの王国が
できるまでの物語

農業をビジネスとして確立させた 「株式会社指宿やさいの王国」ですが、 事業スタート時には大変な苦労がありました。
代表の吉元龍馬を筆頭に、汗まみれ・土まみれで夢と成功を信じ、頑張り続けた「指宿やさいの王国」のストーリーをご紹介します。

安定した暮らしから一変
厳しい現実をつきつけられることに

私の父は、船乗りでした。
他の船乗り仲間からも厚い信頼を得ていて、大きな収入を得ていました。
母もホテルの客室係の仕事をしており、私たち一家は安定した暮らしをしていました。
しかし、そんな生活から一転、借金という厳しい現実をつきつけられることに。
きっかけは、父が船乗りを辞めて知人から勧められ青果の販売を始めたことでした。
いきなり始めた畑違いの商売はうまくいかず、結果、借金を抱えることになってしまいました。
当時、私は父の事業とは関係のない介護の仕事に就いていたのですが、このままでは今まで通りの生活が難しくなることを危惧しました。

うまくいかなかった野菜の仕事
なのに起死回生を狙ったのも野菜の仕事

どうやってこの状況を乗り換えていくのか。
最終的に私が選んだ手段は「農業」でした。
普通では考えられないことかもしれません。これまで勤めていた介護の会社を辞めて、父が苦しんできた農業に、あえてまた挑戦することなど。どうせならば他の仕事を選ぶべきだと思うでしょう。
しかし、やり方次第では野菜のビジネス・農業は儲かると確信めいたものがあったのです。
以前は農家の方から野菜を買って販売をしていました。この方法はマージンをとるだけの仕事ですから、利益率は低く野菜の出来不出来で仕入れ金額が変動します。在庫が利益を圧迫し、粗利が低いと最終的に自分の手元に残る収入も少なくなります。ましてや流通のルールや青果市場のこともよく知らなかったものですから、失敗は起こるべくして起こったことでした。
そんな事例を見てきた私は、利益をあげるためには「自分で作って売るしかない」と、農業を始める決意をしたのです。

逆境こそ成長期
農業経営を徹底的に勉強する

私が農業ビジネスに本格的に取り組んだのは、借金を返すことから始まったといっても過言ではありません。まずは年間売上の金額を2億円に設定し、そこから2000万円の経常利益を上げることを目標に定めました。
そのためにはどうすればいいかを考え、実践的な経営の勉強漬けの毎日が続きます。失敗と試行錯誤を繰り返すなか、何度も挫折しそうになりました。その度に辛かった過去を思い出し、「なにくそ!」と踏みとどまりました。「大きく儲けて見返してやる!」という想いが心に沸きあがってきたことを今でも覚えています。
いろいろな方にも助けていただきました。
地元で活躍する名人、地元、指宿の先輩農家さん、大隅の法人農家さん、そして県内外で活躍するたくさんの方に出逢い、温かな励ましをいただきながら、どうにかビジネスを軌道にのせることができるようになりました。 そうして25歳から30歳の5年間で、目標の2億円以上の売上を稼ぎ出すことができたのです。
今では、年間8億円以上を売上げるまでに成長しました。
通常、野菜農業で1億円の売上を上げることはとてつもなく大変な事だと言われています。
しかし、私は大変だと思ったことは一度もありません。なぜなら世間のみんなが遊びたい盛りの20代にそれにも勝る苦労をしてきたからです。社員やその家族、そして自分たち家族の生活を守るために歯を食いしばり、必死に頑張ってきたからです。

コスト計算、儲かる野菜に絞る
レタスづくりがターニングポイント

野菜づくりの難しいところは、価格設定のフォーマットがある程度決まっていて、自分たちで値段を決められないことにあります。
一般的には、農家で栽培・収穫された野菜は、産地仲買人や農協などの団体を通して各地の中央・地方卸売市場に出荷され、そこで卸売業者が仲卸業者や売買参加者に向けてセリ売りや相対売りして販売するという流れ。つまり価格を決める権限が生産者にはなく、私たちが努力したところで何も得るものがありません。
鹿児島県はエンドウや空豆など豆類の生産が盛んで、その生産量は国内の3∼4割のシェアを占める全国最大の生産地です。
私が農業を始めたころは、スナップエンドウや空豆、レタスを作っていました。キャベツや大根など、値段がぶれない品目は生産者も多く、価格競争に陥りがちだったからです。
しかし、スナップエンドウや空豆はいくらいいものを作っても値段を決めるのは外部の人です。
それならば、レタスに専念しようか。天候に左右されやすい葉物野菜のレタスは相場性が高く、値段が変動します。逆に言えば、野菜づくりと経営センス、その両方が必要とされるのがレタスづくりということになります。
頑張っていいレタスをつくり、利益を生もう。どんぶり勘定ではなくしっかりコスト計算も行い、収支をはじき出しました。レタス1個をつくるのにコストがどれぐらいかかっているのか。栽培するのに何時間かかるのかなどを分析していくと、今まで無駄なことが多かったことに気づきました。高い肥料や農薬、段ボール、備品まで、見直せば見直すほど利益は上がります。お金が手元に残ると今まで出来なかったことにも挑戦できるようになり、やる気もさらにパワーアップしてきました。
レタス作りをしていなければ、今の「指宿やさいの王国」はなかったといっても過言ではありません。 利益を生まない、負の連鎖からいつまでも抜け出せなかったかもしれないからです。
レタスやキャベツなど、品質の高い葉物野菜を安定供給することで食の安心・安全にこだわる大手ハンバーガーチェーン様との出会いがあり、そこから他のお客様との新たな出会いにつながり、プラスの連鎖がどんどん広がっていきました。規準レタス作りは、私にとってのターニングポイントだったといえます。

王国に関わる人、みんなが笑顔に 豊かになるってこんなに幸せ

農業はきびしく、苦しい仕事です。
雨の日も風の日も休まず365日ずっと気を張っていますから。しかし、いい野菜が出来るとそんな厳しさなど吹き飛んでしまいます。
2010年から農業を始めて、自分の家族、弟家族、社員の家族も皆、今年も笑顔で正月を迎える事ができました。
「豊かになるって、こんなに幸福なんだ」と毎年しみじみと感じます。
今では、自分の育てた野菜を「美味しかったよ」と言ってもらえることが一番の喜びです。
自分たちの子どもや孫が「おいしい」と言って食べる野菜を全国また世界の人たちに食べてもらえるようこれからも野菜づくりを続けていきます。

最後に…。恩返しの意味を込め、 地元や日本に貢献していきたい

最近、若いころ大変お世話になった同業の先輩と御懇意にさせていただいております。当時の私は、野菜作りでは絶対に負けないという気構えが若気の至りで前面に出ていて、その方に対して生意気な態度をとっていたと思います。
独自の手法で野菜を売られていたその方は、生産者同士の仲間・ネットワークを作る重要性を説かれていました。その時は、なぜライバル同士が仲間にならないといけないのか私は理解できませんでした。
しかし、自身が農業を糧とし多くの社員の生活を守る立場になった今は、その方のビジネス姿勢が理解できるようになりました。自分のみならず、周りの人も幸せにしたいという願いや想いを、今は心から尊敬しています。大勢の先輩農家の方に助けられ、そしてお客様にもかわいがってもらったおかげで今の自分があるのだと思います。
これからは自分が恩返ししていく番です。
現在の日本の農業は市場規模が縮小し、農業就労者も高齢者ばかりで生産人口そのものも減っていくという厳しい状況に置かれています。
そこで、新規就農者など農業の担い手を増やし、組織化することで収益性を高め、販路と市場を開拓して農業を収益性の高いビジネスとして発信することを考えています。
「指宿やさいの王国」では、新規就農希望者や修行目的の農家の跡継ぎを積極的に受け入れ、逞しく鍛えることで、地域の若手就農者を育てていきたいと思います。
もともと借金の返済を目的として始めた農業ですが、地元の方や、日本全国の多くのお得意先様、さらにはお得意先様の商品やメニューを買ってくださるエンドユーザーのみなさまに助けていただいて、ここまでたどり着くことができました。だからこそ、地元指宿の地をはじめ、日本の「食」に貢献したいという想いを非常に強く持っています。
農業ビジネスのノウハウを次世代に伝授し、指宿の農業、九州の農業、ひいては日本の農業のお役に立てるようこれからもがんばります。
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